「嫌々やってる仕事なんて手放した方がいい!」子宮頸がんを宣告されたアイドル・夏目亜季が闘病生活の末に気付いた“自分の使命”

近年、有名タレントが婦人科系の病気で入院・闘病しているニュースが相次いでいる。「もしも自分に同じことが起こったら…」と案じつつも、どこかで「自分は健康だから」「ガンは年配の人がなる病気」とスルーしてしまってはいないだろうか。

「私も自分ががんになるなんて想像もしていませんでした」と告白するのが、アイドルの夏目亜季さんだ。

夏目亜季

夏目亜季(なつめ・あき)
1990年10月26日生まれ。京都府出身。高校卒業後、歯科助手を経て2011年に上京、タレント活動を開始する。14年2月、アニメ『サクラカプセル』をPRするサクラカプセル看板娘として『また会おう』でCDデビュー。15年1月、ユニット『おちゃめモンスター』結成

夏目さんは2014年秋、子宮頸(けい)がんと診断。治療により卵巣機能を失った。その後、15年1月に寛解(かんかい)し、現在はライブ活動に励みながら、同じ女性に向けてがん克服のための啓蒙活動に取り組んでいる。

今なお治療を受けながら、それでも前を向いて働き続ける夏目さん。その姿から、仕事と健康の価値を改めて見つめ直したい。

20歳で決めた、歯科助手からアイドルへのキャリアチェンジ
「心の奥底にしまっていた夢を、そのままにしたくなかった」

「今も治療の影響で浮腫みがとれなくて顔がパンパンなんです。ちょっと前まではもっとひどくて、それが嫌でずっと家に引きこもっていました」

周囲に過度な心配を与えないよう努めて明るい声で、そう夏目さんは切り出した。がん寛解から1年半以上が経過したが、今も月1回の通院は続いている。卵巣機能を失ったため、更年期障害に苛まされるようになったのだ。不正出血も多く、「もうオムツせなあかんのかなと思った」と笑い飛ばすが、そう語れるまでには相当の時間と葛藤を要した。

夏目さんの闘病生活の始まりは、高3の6月。高熱を発症し、検査を受けた結果、自己免疫性溶血性貧血と診断された。自己免疫性溶血性貧血とは、血管内でつくられた自己抗体が赤血球を破壊することによって起こる貧血だ。その原因はまだはっきりとは特定されておらず、15年より国の難病指定を受けている。

夏目亜季

「とは言え、当時はまだそんなに深刻には受け止めていなくて。高校卒業した後は、何かと病院のお世話になることが多かったので、医療に関わる仕事がしたいと思って、歯科助手として働きはじめました」

そんな夏目さんに転機が訪れたのは、20歳のとき。歯科助手の仕事を離れ、アイドルを目指すこととなったのだ。

もともと歌や踊りが好きで、芸能界への興味もあった。だが、平凡な自分にアイドルなんてできるはずない。そう言い聞かせ、一度は封をした夢だった。しかし、テレビで活躍するAKBの姿を見て、奥底にしまったはずの憧れが再び大きく膨れはじめた。

「今やらないと自分はずっと変わらないままだなと思って。たった一度の人生、思い切り冒険してみよう。そう決意して、一人で東京へ出てきました」

「もう二度と子どもが産めなくなる」23歳で迫られた女性として苦渋の選択

夢への一歩を踏み出した夏目さんだが、多忙な毎日の中で、やがて体調に異変が生じはじめた。喉にこぶができ、さらに13年6月、自己免疫性溶血性貧血が再発したのだ。

病気を抱えながらのアイドル活動は、過酷そのもの。だが、親や主治医の反対を押し切って上京してきた身。そう簡単に音を上げるわけにはいかなかった。ここからもう一度頑張ろう。そう再起に燃える夏目さんに、さらなる過酷な運命が降りかかった。

「ある時から、これはもう生理不順っていうレベルじゃないぞっていうくらいの不正出血が続くようになりました。友達に話したら、その子も卵巣の病気で何時間も手術することになったって話してて。そんな深刻な事態になることがあるんやって初めて知って、病院に行くことにしたんです」

そこで言い渡されたのは「子宮頸がん」だった。医師から病名を告げられた瞬間、夏目さんは世界が足元から崩れ落ちていくような感覚に襲われた。しかも、普段から服用しているステロイド薬で免疫を抑制しているため、進行が速く、すでにがんはリンパ節に転移をしていた。

もう二度と子どもが産めなくなる。

そう医師から宣告された夏目さんは何とか子宮の一部を温存できる治療法を模索したが、残念ながら急速に進行する病の前では、将来の子どもより、自分の命を守るので精一杯だった。結果、放射線と抗がん剤による治療を選択。夏目さんのがんとの闘いが、始まった。

闘病ブログを読みあさってしまう日々。言いようのない恐怖に追いつめられた

ステロイドの副作用によって、顔や体がむくみ、アイドルとしての自信も失いつつあった。

夏目亜季

「がんが分かってからは、毎日通院生活です。治療は、長ければ6~7時間に及ぶことも。病院から帰ってくる頃にはもう体がぐったりしていて、あとは寝るだけ。とても仕事なんてできません。ただ病院と家を往復するだけのつらい毎日が過ぎていきました」

闘病中は、自分と同じ病気で苦しんでいる人たちの気持ちが知りたくて、闘病ブログを読みあさってしまう。しかし、その更新が途中で停止していたり、最後に親族から死去の報告が書かれているのを見るたびに、言いようのない恐怖に追いつめられた。

「すごく苦しい時期でしたけど、一方で私ががんであることをブログで公表してから、いろんな人が応援の言葉をくださって。自分には、待ってくれている人がいる。だから早くまたライブがしたい。その想いが、病気に立ち向かう勇気になりました」

約2カ月に及ぶ通院治療を終え、15年1月に寛解。同年4月、夏目さんは復帰ライブを果たした。ライブ終盤、駆けつけたファンを前に歌った曲が、闘病生活の中で自ら作詞したオリジナル楽曲『負けない』。例え何があってもいつも笑っていたい。明日が見えない中で書き綴った自らの生への想いに、夏目さんの目は涙でいっぱいになった。

嫌いな仕事はしない。過度なストレスはためない。心と体が健康なことが、一番大切

しかし、決して病気との生活が終わったわけではない。持病の自己免疫性溶血性貧血が全身性エリテマトーデスに悪化。今年の3月にはライブ中に倒れ、その後、2カ月間の入院生活を余儀なくされた。浮腫んだ顔が嫌で、退院後はしばらく積極的にライブ活動する気持ちにもなれなかった。それでもこうして表舞台に立ち続けるのは、病気を経て気付いた自らの使命のためだ。

「闘病中って同じ病気の人の症状や経過を見たいと思うんです。少なくとも私はそうだったから。こうやって表に立って発信することで、今も孤独や不安の中で病気と闘っている人の支えになれたらという気持ちはあります」

同じ病気で苦しんだ者同士だから共有できるものが、きっとある。今も夏目さんのもとにはSNSやブログを通じて闘病中の人々から相談や共感の声が寄せられていると言う。

夏目亜季

「いくら予防が大事だって言っても、やっぱり検査って女性にとっては心理的な恐怖がある。でも、私みたいに若い年齢で病気を経験した人が発信することで、少しでも自分の健康に気を配る人が増えたらと思っています。ぜひこの記事を呼んでいるみなさんには、少しでも調子が悪いなと思ったら病院に行く習慣をつけてほしいです」

病気によってステージに立つことさえできない時期が続いた夏目さん。だからこそ、復帰後は仕事のスタンスにも変化が生まれた。今は仕事のメールは21時以降はチェックしないなど自分ルールを制定し、過度なストレスをためこまない工夫を試みている。

「昔はあまり気が進まない仕事のお誘いも断れないタイプだったんです。でも今はとにかく好きな仕事だけをやるって決めています。だって、人生は一度しかないんですから、嫌いなことを嫌々やっている時間なんてもったいない。心が磨り減っていくような仕事なら、手放してしまって、やりたいことにチャレンジする方がいいと思うんですよね。すると、心だって健康になるはず」

そう笑顔で前を向く。夏目さんは浮腫みの残るその顔を、Twitter上で「ムーンフェイス」という言葉で紹介。満月のようなその笑顔には、人を優しく照らす温かい光が溢れている。

取材・文/横川良明 撮影/洞澤佐智子(CROSSOVER)